運営・経営

『”仕方がない”を止める』

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■間違いだらけの「障害」と「グループホーム」■
『”仕方がない”を止める』
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こんにちは。
障害者向けグループホームを運営する松本です。

海外から来日されたA講師があるセミナーで
言われたそうです。

「日本の福祉現場でよく私が耳にする言葉があります。
この言葉が福祉現場の成長を止めているように
思えてなりません。何だかわかりますか?」

皆さんは何だと思いますか?

それは

「仕方がない」

福祉現場という言い方をされていますが、
福祉に限らず、日本人が皆、よく使っています。

「〇〇があるけど仕方がないよね」

「○○が起きた。でも仕方ないよね」

「〇〇のことは分かっている。でも仕方ないよ」

といった具合に使われます。

多くの場合、
「いろいろ問題はあるけれどこの辺りで諦めましょう!」
といったニュアンスでしょうか。

自分で自分を納得させる、相手を納得させるときに
「仕方ない」で完結させる。

本当は完結していないのですが…。

「仕方がない」といったら、
そこで思考が止まります。
現状がベストだということになる。

なかには「仕方がない」で完結させてはいけない、
未解決な問題が福祉の現場では多々あるように思います。

「仕方ない」は禁句です。

『ルールを守るか?それとも変えるか?』

こんにちは。グループホームHARUの松本です。

会社内にはルールが存在しますね。
皆さんの会社にはどのようなルールがありますか?

就業規則、服務規則、取引先との折衝規則、勤怠ルール、
営業開拓ルール、営業監理ルール、接客ルール、制作ルール…。

あげたらキリがありません。

ルールは“守ること”が前提です。
頭の固い人は、どのような状況でもそのルールを遵守します。

でもルールには作られた目的が存在し、
目的を忘れて、ルールそのものを守ることに
価値を見出している方がいますね。

またルールは作成時にベストだったかもしれませんが、
時の流れともに現在には適応できていないこともあります。

時代に適応できていないルールを、
遵守することに果たして意味があるでしょうか?

柔軟性がある人は、ルールは守りながらも、
ルールそのものを見直す必要がないかを考えています。

社内に変革をもたらす「変わり者」と言われる人達は、
ルールは“参考目安”ぐらいにしか思っていません。

だから既成概念に因われずに
新しい改善・改革を遂行していけます。

ルールを遵守することは得意でも
ルールを変えることは苦手な人が多い印象です。

ルールや規則は陳腐化していく。

アップデートしなければなりません。

『ビジネス思考×福祉思考』

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『ビジネス思考×福祉思考』
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こんにちは。
障害者向けグループホームを運営する松本です。

近年は福祉業界の中でもM&Aが盛んになってきました。
DMなどもよく送られてきます。

それだけ経営環境が厳しくなってきたということでしょう。

先輩経営者にきくと

「ビジネス×福祉のバランスが大事だ」と言われていました。

他業界の方が聞くと驚かれてしまいますが、
“福祉のみ”の経営者もいます。

一生懸命やっていれば報われると考えて、
PLやBSを見ていない。
税理士さんの言いなりになってしまっている方です。

そもそも利用者を支援することに興味があり、
経営に興味が薄い。

コストが徐々に膨れ上がっていき、
赤字に転落していきます。

その逆で“ビジネスのみ”の経営者もいます。
人件費を限界以上に抑えて、現場が疲弊する。
利益を残すことが、すべての経営判断になる。

効率重視なので、
国や自治体が指定するルールも守っていない?と
いう点も見られます。

利用者への関心がない経営者なので、
現場に優秀な管理者がいなくなると組織が崩壊します。

「ビジネス×福祉」の思考と判断を持つこと。

どちらも欠けてしまっては、
継続的に運営できません。

『楽しさか? 自立か?』

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『楽しさか? 自立か?』
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こんにちは。
障害者向けグループホームを運営する松本です。

以前スタッフから質問を受けたことがあります。

「うちのグループホームは、
楽しさと自立とどちらに重きを置きますか?」

そういう対立軸で分類するのか…とも思いました。

彼が言いたいことは下記のとおりです。

楽しさ:生活の場なので、安心で楽しく過ごせることを
一番の目的とする。

自立:利用者が自分が望む自立に向かって、
必要な支援をすることが一番の目的とする。

「楽しさ」ばかり重視していたら、
「自立」した生活を送れる日が来ない。
でも生活基盤なので、安心・平穏がないといけない。

「自立」を重視すると、
利用者本人としてはできないことと向き合っていくので
辛いこともある。訓練に近いと感じることもあるかもしれない。。
ホームでありながら、気持ちが落ち着かない。

おそらくこういったことが言いたかったと
推測します。

結論から言えばどちらも必要かと思います。

ただ順番をつけるならばグループ“ホーム”と
いうくらいですから、
「楽しさ」「安心・平穏」を第一に置くことが
優先されると考えます。

「自立」支援というくらいだから、
「自立」を重視して利用者と接してしまう方も
いるかもしれません。

でもそれは長い目で見る必要があるし、
土台が安定してこと実現可能なものです。

当グループホームでは、
まずは「安心・平穏」「楽しさ」の土台を
作ることを第一優先にしたいと考えています。

『アドラーの「結末を体験させる」を福祉に活かす』

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『アドラーの「結末を体験させる」を福祉に活かす』
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こんにちは。
障害者向けグループホームを運営する松本です。

『嫌われる勇気』という本がベストセラーになり
アルフレッド・アドラーが再注目されました。

彼が提唱している一つに「結末を体験させる」
いう考え方があります。

~引用~
罰を与えるのではない。
結末を体験させるのだ。
子供が食事の時間になっても帰ってこなければ、
一切叱らずに食事を出さなければよい。

夕食の時間を約束し、遅れれば食事は出さないと
いう約束をして、それを守る。

「ご飯は?」と聞いた時に、
「時間に遅れたから食事は出せないのよ」と
答えればいい。

この方法は、自然な結末ではなく、
論理的な結末を体験させる方法。

この約束は理不尽なほど厳しいものではいけない。
罰だと受けとめるから。

叱責も嫌味も言ってはいけない。
これも罰になってしまう。

結末を知らせて相手に気づかせる。

例文は子供に関するものだが、
これは大人にも有効的でしょう。

障害福祉サービスも同様です。

権利擁護はしつつ理不尽ではない範囲で、
論理的な結末を体験しながら、
学習するプロセスが必要です。

人間は誰しも学習します。

「この場面では◯◯するといい」
「この場面では◯◯しない方がいい」など。

本人が学習する前に
支援という名のおせっかいをしすぎるのも
いかがなものでしょうか…。